こんにちは、ハヤトです。
これまで東京で生活をしていたのですが、ステップ就職に自分に合う求人があったことをきっかけに、東京から広島県 竹原市に移住しました。
移住の不安はありましたが、自分が一番幸せになれる場所を考えたところ、東京じゃなくていいなと思ったんです。
目次
- ①友達のいない学生時代 ▷友達ができず学校にも行きたくなかった高校時代
- ②大学卒業後は転職を2回経験、どの仕事も長続きしなかった ▷新卒の就職先でまた自信を失ってしまった
- ③ステップ就職で、初めて誰かに相談しながら就職活動をしてみた ▷短期離職でスキル経験が無くても一緒に会社を探してくれそうだった
- ④海も山も利便性もある、心穏やかに生きるため広島県 竹原市に移住 ▷就職活動で出逢った新たな選択肢
- ⑤移住後の生活や移住してよかったこと ▷1日の流れ
- ⑥自分を追い込まず、自分の夢に繋がる経験を紡いでいきたい ▷ステップ就職を使って一人で抱え込まなくていいんだと思えた
▷大学でアメリカ留学、スポーツでコミュニケーションができた
▷帰国後は人力車の車夫のアルバイトでおもてなし
▷造園業に転職するも厳しい労働環境が合わなかった
▷地元に戻り転職、社風が合わずに退職
▷会社見学での気づきと選考
▷移住の不安も周りの方が解消してくれた
▷東京では自分に劣等感を持っていたが、ここでは違う
友達のいない学生時代
ー ハヤトさん、こんにちは!就職活動を始めるまでの、学生時代の話から聞かせていただけますか?
ハヤト:こんにちは。よろしくお願いします!
高校時代は自分自身を上手く出せずに3年間過ごしてしまい、友達ができずに学校にも行きたくなかったです。
不安やネガティブな感情が頭の中をグルグルしていて、人の視線を無意識に気にしすぎるようになっていて、家にいることが多く、その状態が続くようになっていました。
いじめ、というほどのことはありませんでしたが、無理やり人前に立たされて面白いことをやれというようなことをやらされたりはしました。
本音としてはいい気分ではなかったのですが、自分はそういう立場なんだと言い聞かせていました。
ー そんな高校時代を経て、卒業後はどのような道に進んだのですか?
大学に進学したものの2年生までは同じような状況が続き、2年生の後期からその学部では全員参加するアメリカへの半年間留学に行くことになりました。
ホームステイ先に息子さんがいて、言語が必要のないスポーツなどでコミュニケーションを取り、仲良くなれました。
それ以外でもスポーツをやっている場所のような言語が喋れなくてもやりとりができる場に勇気を持って行き続け、少しずつコミュニケーションが取れるようになっていきました。
うまい人ばかりだったので最初は笑われたりもしましたが、気づけば周りと関係性を作れていました。
ー アメリカ留学の経験から、少しずつ自分を出せるようになったのですね!
留学を経て「自分は変わった」というような感覚が自分の中にあり、英語に触れたせっかくの経験を活かし日本に来る海外の人におもてなしをしたいと、浅草で人力車のアルバイトを始めました。
アルバイトはとても楽しかったですし、人力車の制服を背負って走っている自分に自信を持てて、あの時期は楽しかったなという思い出のひとつになりました。
その後は大学の中でも友達ができました。
アメリカに行くまでは誰かの後ろについていく、誰かが決めたことに従う、という感じで生きていましたが、自分で学ぶことを決めたり知らない人がいる場所にも行けるようになり、少しずつ自分や人生が変わってきている感覚がありました。
大学卒業後は転職を2回経験、どの仕事も長続きしなかった
ー 大学卒業後は、何をされていたのですか?
大学卒業後は新卒でメーカーに入社しました。
営業職を希望していましたが、実際に配属されたのは製造職でした。
偉い方の前で発表しないといけない場面が多々あり、うまくいかず、また自信を持てないようになっていました。
周りのパートの方々とは仲良くなりましたが、社員さんとはほとんど関わりがなく、ずっと目の前の機械を眺めているだけが仕事という状況になり、このままではいけないと辞めたい気持ちが出てきて、入社してから1年2ヶ月後に退職することになりました。
ー 最初の就職はあまり続かなかったのですね。その後は別業界に転職されたとか?
はい。自然が好きで、緑を守る仕事がしたいと思い、現場経験が7年必要である樹木医という資格を取るため造園業に転職しました。
前職とは違い、ただ眺めていたりという時間はなく、最初の方は楽しさもありましたが、労働時間や環境がかなり過酷で入社してから1年3ヶ月後にまた退職することになりました。
当時は朝6時半〜夜22時半までと拘束時間が長く、作業の時間だけではなく、説教の時間も多く、心身共に壊れていってしまいました。
年の近い先輩や年下の同僚とは仲良かったのですが、親方やリーダーからの抑圧、押さえつけられるような言動があり、親方の罵声を聞かない日はないという罵声が飛び交う職場で、自分が集中攻撃された時も辛かったのですが、他のメンバーに対しての罵声も聞いているだけできつかったのを覚えています。
特に、人格を否定されるような言動は本当に辛かったです。
ー お辛い環境でしたね…その後お仕事はしたのでしょうか?
それから、自分の地元に戻り、休みながら他の働く場所を探して、同じ造園業で前職より休みがちゃんとあり、会社としてもしっかりしているところを見つけ入社しました。
前職と比べ、説教などで長時間拘束されることはなかったのですが、職業柄しょうがない部分もあるのか、やはり罵声が飛び交う現場というのは変わらず、それに加えて、会社の雰囲気がとても暗くて、長い目で考えた時にここに染まってしまうことや人生の時間を費やしてしまうことに恐れを感じていました。
ステップ就職で、初めて誰かに相談しながら就職活動をしてみた
ー ステップ就職はどのように見つけましたか?
今までずっと自分で会社を探していて誰かに相談しながら会社選びをすることがなかったのですが、それが今まで就職がうまくいかなかった原因だと思い、ネットで検索していたらステップ就職を見つけました。
他の転職エージェントもたくさんありましたが、他は同じような会社に斡旋したり無理やり入社させたりとその転職エージェントのインセンティブのためにという口コミをよく見ていたので、そうではないと思ったステップ就職を選びました。
自分自身、短期で離職していてスキルや資格がない状態でしたが、それでも相談しながら一緒に会社を探してくれそうだという印象がありました。
ー そのような印象を持っていただけて嬉しいです!就職活動に不安はありましたか?
自分一人で探しても合う会社が見つけられないことです。
そして、仕事だけじゃなく、漠然とこの先の人生をどうしていくべきか不安がありました。
ー ステップ就職の会社説明会はいかがでしたか?
会社説明会には4社ほど行きました。
国際物流関係の営業職の会社見学では、社長の方が力強い方という印象で前職の威圧感みたいなものを思い出してしまい、そこに入社しようとは思えなかったのですが、そうやって選考前に見学や説明会で社長やそこで働く方、仕事内容などを事前に体感できるのはとてもよかったと思います。
ITのエンジニア職の見学では、話をしてくださった方の印象はとてもよかったのですが、話を聞いてみてプログラマーという職種を本気でやってみたいとは思えませんでした。
その後、広島県の現職の会社と福祉の会社のオンライン説明会に参加しました。
福祉の会社さんは介護だけでなく農業もやれるという農福連携の仕事だというお話をお聞きし、とても魅力的で、実際に見に行きたいと広島県まで見学へも行きました。
東京に住んでいたので広島へ見学へ行く際に交通費片道負担という行政のサポートがあったのは大きく、また、ステップ就職さんに現職の会社とその福祉の会社2社とも同日に見学や面接ができるよう組んでいただき、日帰りでいろいろと確認し進めることができました。
ー 変な質問ですが笑、面接はありましたか?
カチッとした面接はステップ就職では受けていないかもしれないです…笑
広島の2社の選考に進んだのですが、ざっくばらんに話すという雑談のような面接で2社とも内定をいただきました。
ステップ就職以外では、3社の面接に行き、3社すべて落ちました。
1社は一次面接で落ち、もう1社は最終面接で落ち、最後の1社は落ちてもう一回受けましたがやはり落ちました。
そういった結果が続くのは辛く、しんどかったですが、今振り返るとその会社は仮に受かっても入社後続かなかったと思います。
海も山も利便性もある、心穏やかに生きるため広島県 竹原市に移住
ー 入社した会社は…なんと…!ですよね。
実は、関東の会社ではなくて、広島県竹原市の会社なんです。
地域の産品を日本国内、世界に届けようという会社です。
社会問題となっている耕作放棄地の問題なども同時に解決するために、農業も行っています。
東京に住んでいたのですが就職先は関東でなくともいいとは言っていたので、広島の会社を紹介された時もそこまでの驚きはなかったですし、ステップ就職であれば魅力的な会社が関東以外にもあると思えていたのは大きかったかもしれないです。
何度か現職の代表の藤崎さんとオンラインで話をさせてもらう機会を作っていただき、その方を通して、広島県竹原市や会社・仕事内容の魅力を感じることができましたし、すごくオープンにお話ししてくださり信頼できる方だと思えました。
△ 藤崎さん
広島空港から車で25分とアクセスも良く、瀬戸内海の穏やかな気候に恵まれた土地です。
気候を活かし、新鮮な海の幸やブランド牛など、美味しいものも名物。
江戸時代のお屋敷やお寺が立ち並ぶ「町並み保存地区」やうさぎ島で有名な「大久野島」があります。
ー 就職、改めておめでとうございました!移住の決め手は何だったのでしょうか?
ありがとうございます!
海と山が近くにあって、自分は自然が好きだから、いいなと思いました。
△ 竹原市HPより
都会のようなギスギスした感じや急がなきゃみたいな焦り、競争競争をいうような雰囲気がない環境は自分にとって過ごしやすいと感じましたし、自然環境はありつつも生活に必要な店もあり、関東と比べても不便すぎることもなく、市内などに行けば都会と変わらない利便性はあります。
見学で訪問した時に観光案内もしてもらい、町並み保存地区を見て、自分もこのエリアの未来に貢献したいと思えたのも大きかったかもしれないです。
△ 竹原市HPより
住む家をどうしたらいいんだろう、ということが一番大きな不安でした。
結果的に現職の会社がシェアハウスを用意してくれたので、自分で一人で探して、ということはなく安心しました。
また、知らない場所に行くので新しく友人を作れるかなど人間関係も不安でしたが、代表の藤崎さんを通して、竹原市役所の方や一緒に働く方々と顔合わせするうちに、こんな方々がいるのであれば大丈夫だと実感しました。
移住などをサポートしている竹原市役所の山田さんは、竹原市のことや移住についての説明を事前にオンラインでしてくださり、交通費補助や移住手当金などについても丁寧にサポートしてくださったので、本当に助かりましたし、不安が払拭されていく感覚がありました。
△ 竹原市総務企画部企画政策課 プロモーション推進担当の山田さん
移住後の生活や移住してよかったこと
ー 移住先での業務内容や生活のスケジュールを教えてください!
2022年9月に移住しました。
仕事は、農園管理とECサイト管理を基本的には半々でしています。
農作業で体を動かして、ECサイト運営で頭を使って事務作業もして、会議もしてという面白い仕事です。
休みの日は、山登りしたり、図書館に行って本を読んだり、市内に買い物に行ったりなど、自然で遊んだり買い物をしたりという感じです。
ー 移住してよかったな、と思うことや逆に不便なことはありますか?
悩み事、特に自分を追い込むことが減ったと思います。
東京では、仲が良かった地元のメンバーは結婚したりしていて、それと比較して自分に劣等感を持ったり、ひとつのコミュニティの中で縛られている感覚がありましたが、それがなくなりました。
朝起きて寝るまできれいな自然の景色を見れる、四季の変化を体感できるのは本当にいいなと思います。
不便なことは、徒歩や自転車でも生活に必要なことは問題なくできるのですが、やっぱり自分の車がほしい!と思います。
無いとやはり不便さを感じる部分があり、あれば自由度が広がるなーと思います。
自分を追い込まず、自分の夢に繋がる経験を紡いでいきたい
ー ぜひ、ハヤトさんの今後の目標を教えてください!
壊れていく自然を良くしていきたいという想いがあり、今も荒れて放棄されている農地を開拓したりしているので、今後の自分の夢に繋がる経験ができているという感覚があります。
いろんな人と関わる仕事ですが、元々、人と関わるのは苦手意識を持っていたので、仕事を通して改善・成長していきたいと思います。
ステップ就職を使って一人で抱え込まないでいいんだと思うことができ、この仕事で自分に自信を持って、生きていてよかったと思えるようになりたいです。
専属スタッフが仕事探しのお手伝いをしますので、まずはお気軽にご相談ください。
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